会社概要
昭和 8年 6月 | 食堂信濃屋を経営していた中島ソヨ氏が、昭和10年9月に網走駅構内営業の許可を得て、駅弁の販売をはじめる。 「幕ノ内弁当」発売。 |
昭和14年 2月 | 2代目経営者中島甚四郎氏より3代目守屋彌氏へ経営権を譲渡。「かにめし」を発売。 構内営業のほか、旅館、結婚式場、食堂を経営。 |
昭和24年 | 旅館を廃業し土産物、衣料、小間物、文具、食品などの営業をはじめ、店名をモリヤ商店とする。 |
昭和35年 3月 | 商店経営を法人組織とし、株式会社モリヤ商店を設立。 |
昭和62年 | 「帆立弁当」を発売。 |
平成15年 | 「究極のかにめし」期間限定販売。「磯宴シリーズ」、「オホーツク弁当」、「贅沢三昧」、「いくら数の子弁当」発売。 |
営業拠点 | 網走駅構内食堂・ホーム売店・レストラン |
伝承と沿革
昭和8年6月、食堂信濃屋を経営していた中島ソヨ氏が、昭和10年9月に網走駅構内営業の許可を得て開業したのが始まりである。しかし、その後の経営状況がおもわしくなく、昭和14年2月、二代・中島甚四郎氏の時に池田の米倉屋を退職していた(昭和13年9月退職)守屋 彌氏に経営権を委譲した。その後守屋 彌氏は懸命な営業努力の結果、従来の駅構内営業の外に、旅館・食堂(モリヤ食堂)の経営をするまでに事業を拡大した。
昭和24年に旅館を廃業し、新たに土産品・衣料・小間物・文具・食品等多様な商品を扱う店を開業し、モリヤ食堂も吸収し店名を「モリヤ商店」とした。
この間、業績向上に伴い昭和34年に北見駅構内営業に進出、営業権を譲り受け代表者に守屋 毅一氏が就任した。
昭和35年、個人経営を法人組織とし、株式会社モリヤ商店を設立した。
昭和45年11月、守屋 彌氏急逝により、専務であった守屋 猛氏が事業を継承した。事業は順調に経過していたが昭和54年2月、四代・守屋猛氏病没のため、 夫人であった守屋 末子氏が五代目として事業を継承した。
昭和60年10月、六代・守屋靖太良氏が事業継承、ローカル色豊かな駅弁が脚光を浴び始め、網走駅の駅弁も旅行客の注目を集めるようになった。守屋靖太良氏は積極的な経営を展開し、折からの「流氷観光」ブームに乗って、業績は次第に好調さを見せ始めた。特にオホーツクの海で獲れる「カニ」「ホタテ」「ウニ」等、旬のものを活かした弁当が好評で、駅弁としての評価は勿論のこと、デパートの駅弁催事等でも確実に人気を高めつつある。